福正寺の本堂に向って、左の石段を登った小高い所にあります。
今から410余年前、この地の豪族・村山土佐守や家臣等が、本堂前庭に堂を再興したと伝えられています。現在の堂は、天保12年(1841年)頃、今の位置に再建した記録があることから、160年以上前の建物であります。堂は総欅(けやき)材、間口6.75m、奥行8.45m、桁行(たけゆき)3間、梁間(はりま)4間、撞木造(しゅもくづくり)、三方入母屋(いりもや)造、茅葺(かやぶき)型銅板葺、三方に破風(はふ)がみられる独特の建造物です。手前一間は板敷吹放(ふきはなし)で建具はなく、次の二間は、畳16畳敷で、正面中央の間には、左右各二枚の棧戸(さんど)、他はすべて舞良戸(まいらど)がたててあります。奥の一間は板敷で、手前中央に来迎柱(らいごうばしら)があり、その柱間に仏壇を設け、本尊の観音座像が安置されています。背面の中央間は、舞良戸、他は板の壁であります。周囲には、勾欄付(こうらんつき)の濡縁(ぬれえん)をめぐらし、建築細部の手法は、唐様を主とし、すこしく和様を交えています。
吹放の間の鏡天井には、現在新しい淡彩の竜の図、畳敷の間の格天井(ごうてんじょう)には彩色の花鳥獣等が描かれています。
格天井の絵の作者は、入間市宮寺の人、吉川緑峰(よしかわりょくほう)(1808~1884)。緑峰は、茶づくりで有名な吉川家の二代目忠八で、家業の狭山茶生産に励むとともに、この地方での文化人で絵をよくしました。石畑吉野岳(よしのだけ)地蔵堂の天井絵、近くは入間市黒須の蓮華院観音堂、宮寺清泰寺本堂、同大御堂(おおみどう)等に絵をのこしています。
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